19/8/29 あいちトリエンナーレ「表現の不自由展・その後」の再開を求める声明 を出しました
2019年 08月 29日
あいちトリエンナーレ「表現の不自由展・その後」の再開を求める声明
2019年8月29日
秘密法と共謀罪に反対する愛知の会
「あいちトリエンナーレ2019」の企画の一つ「表現の不自由展・その後」が、開始からわずか3日にして中止となった問題について、これに強く抗議するとともに、一刻も早い再開を求める。
あいちトリエンナーレは、世界的にも注目される大規模な国際芸術祭である。昨今、自分が是としない表現・意見・思想を激しくバッシングする(ときには実際に危害を加える)などの事件が相次ぎ、インターネット上ではそれを囃し立てるような書き込みも目に付く。
こうした状況だからこそ、国際芸術祭・あいちトリエンナーレの中に「表現の不自由展・その後」という企画展を設け、過去に展示が中止に追い込まれるなど物議を醸した作品を展示し、作品を目の前にすることで、鑑賞する人に「表現の自由・不自由」について深く考えてもらう機会を作ろうとしたことの意義は大きい。
ところが、「表現の不自由展・その後」の展示開始後、名古屋市長や内閣官房長官、文部科学大臣を含む複数の政治家らによる中止要請や圧力があり、また、展覧会に危害を及ぼす旨の匿名による複数の脅迫があった。県の職員に対しても大量の抗議の電話が寄せられた。
その殆どは「平和の少女像」を標的とし、「反日的」だ、「慰安婦」問題を蒸し返しての日本への攻撃だ、といった類いのものであった。しかし、「平和の少女像」は、それが声高に「日本」を恨み憎む展示物でないことは一見して明らかであり、現に今でも世界中の戦闘地域で起こっている戦時性暴力をなくしていきたいという切なる願いが込められた作品である。「平和の少女像」を「反日的」、「日本国民への侮辱」などと言い募るのは、歴史修正主義の見地の喧伝であり、最初から芸術作品に正面から向き合おうとしない政治的偏見からくるプロパガンダである。
また、昭和天皇の写真を燃やす作品にも、「御真影」を燃やした「不敬罪」にあたるという批判が集中的に寄せられた。これも、戦前の大日本帝国時代の意識に基づく批判であって、作品の展示の中止を求める理由になり得ない。
こうした展示作品への攻撃は、安倍政権が一貫して進めてきた戦争する国づくりのための排外主義・歴史修正主義の煽動によって噴出したものである。そして、政治家の持つ公権力ないし影響力を利用した中止要請、あるいは、暴力をほのめかした脅しによって自由な表現の場を奪おうとする行為は、異論を公権力ないし暴力で封殺しようとするものであり、断じて許されるものではない。
あいちトリエンナーレ実行委員会も、出品者に諮ることもなく、わすか3日で展示を中止させた。脅迫があったとはいえ、こうもあっけなく「中止」という判断をしたことは、「激しく攻撃すれば」「匿名で脅迫すれば」「政治家が圧力をかければ」、表現の場を潰すことができる、という悪しき前例を作ったことになり、到底容認できない。また、出品者(この企画展に限らず、あいちトリエンナーレに出品したすべての芸術家)に対する非礼・侮辱でもある。
他方、抗議や脅迫に対しては、これに応答しない、警備を厳重に行うなどの対応で、対処できたはずである。
表現の自由(憲法21条)は、全ての人が、何の心配や恐れをもつことなく、自由に書き、描き、作り、学び、考え、語り合う権利を保障するものであり、それは幸福追求権(憲法13条)の重要な核をなすものである。また、表現の自由は、知る権利と表裏一体となって、表現に接する人々が多様な情報に触れる機会を保障し、ひいては、民主政の発展の基礎となるという極めて重要な意義を有する。
あいちトリエンナーレのような大規模な国際芸術祭は、公的な資金援助(拠出金、補助金)なしには成り立たない。そうした拠出者たる公的な機関及びそこに属する公人が、自らの政治的主張に反するという理由で内容を批判し、出品の中止を要求することは、公権力による表現の自由の侵害に他ならない。
また、多数を標榜する者の不快感等を理由にして、政府や自治体等が表現行為を禁止することを認めてしまえば、立場の異なる少数者の意見表明の自由は奪われ、民主政社会にとって必要不可欠な意見の多様性も失われることになり、少数者の弾圧にもつながりかねない。
表現の自由の上記のような意義に照らせば、このような状況を看過することは到底できない。
当会は、2012年から、「知る権利」を含む表現の自由を抑圧する悪法と闘い、表現の自由、知る権利を守り抜き、より押し広げたいと願って活動してきた。とりわけ安倍政権になって以降、日本国憲法が明確に謳っている市民及び労働者の自由を抑圧する攻撃が強まる中で、芸術活動の領域まで「自由」が窒息させられていく状況に、強い危機感を抱く。
民主政において欠くことができない、表現の自由、知る権利を守り抜き、より押し広げたいと願う立場から、「表現の不自由展・その後」の早期の再開こそが、現在の日本社会で危機に瀕している多様性と寛容性を取り戻すことであり、一時的であっても中止に追い込んだ卑劣な勢力に対する、憲法を活かす側からの応答であるべきだと確信する。
以上より、当会は、「表現の不自由展・その後」の一刻も早い再開を求める。
以上
あいちトリエンナーレ「表現の不自由展・その後」の再開を求める声明 (PDF)
http://www.tokuyamadam-chushi.net/sonota13/20190829seimei.pdf