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特定秘密保護法に反対するため、弁護士や市民が「秘密法と共謀罪に反対する愛知の会」を結成しました。各地のイベント、最新ニュースも載せます。集団的自衛権にも反対です。https://www.facebook.com/nohimityu


by beshi50
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「共謀罪」以前と何が違うのか?

「秘密法と共謀罪に反対する愛知の会」の共同代表を務める中谷雄二弁護士が、これまで3回廃案となってきた「共謀罪」と今回の法案との違いについて、緊急の論稿を書きました。
http://www.nagoya.ombudsman.jp/himitsu/170510.pdf
「以前と何が違うのか」という部分も大切ですが、「それではどうすればよいのか」と、緊迫する情勢の中で今後の運動指針について書かれているところが、とくに重要だと思います。是非お読み下さい。

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「共謀罪」以前と何が違うのか? 弁護士 中谷雄二

 共謀罪はこれまでに3回、国会に上程されいずれも廃案となっている。この時と現在では何が違うのかを書くようにというのが私に与えられた課題である。
 法案の内容は、テロ等準備罪と罪名は変えたが、何も変わりはない。朝日新聞に掲載された元警察庁長官の国松氏は、「テロ対策」と聞いた時に「へえ」と思ったと答え、一貫して「共謀罪」と言い続けたという。政府が言う「国際組織犯罪防止条約」(TOC条約)への加入のために必要な法律というのが、以前の「共謀罪」も今回の「テロ等準備罪」でも変わらない制定理由である。TOC条約はテロ対策のためのものではなく、マフィア等の国際金融犯罪等を取り締まるための条約である。日本政府は条約作成過程で、テロ対策を条約の中に入れることに反対していた。テロ対策のためではないことは十分に承知の上で、敢えてテロ対策と看板を掛け替えただけなのである。
 中身に違いはないのか。政府は、「組織的犯罪集団」に限定したこと、「準備行為」を処罰要件として加えたことを理由に過去の共謀罪とは全く違うというが、これも嘘である。いずれも、過去に上程された際、修正案の中に盛り込まれていたものである。当初676としていた対象犯罪を277に絞ったことが違うのか?この点も否である。すでに過去の修正案では100台まで絞ったことがある。
 共通するのは、極めて曖昧で捜査機関によって拡張解釈が可能な構成要件(犯罪成立の要件)である。計画という要件は、二人以上が相談して決めることだから、「共謀」と異なるところはない。組織的犯罪集団というが、一般人が構成する団体でも、「組織的犯罪集団」に一変することがあるという、その団体が犯罪行為を計画したと捜査機関が見なせば、「組織的犯罪集団」に一変する。それは、政府に反対する組織だけではなく、普通の住民が自らの住環境を守るために構成する「~の環境を守る会」でも同じである。
 多くの市民は、自分は犯罪と関わることはないから関係がないと感じているのかもしれない。しかし、自分が積極的に犯罪を犯すことはなくても、捜査機関によって何時、疑わしいと思われるかはわからない。瑞穂区の白龍町では誰でも遭遇する可能性のあるマンション建設反対運動に参加したことで、住民運動のリーダーが逮捕・勾留され、起訴までされている。大垣市では、山中に風力発電所が建設されることを心配したお寺の住職や環境活動を行っている人が学習会を開催しただけで、事業活動を妨害する可能性があると警察と事業を遂行しようとしていた電力会社の子会社が情報交換会をもち、監視され、プライバシーを探られ、それが警察から民間企業に伝えられていることが判った。誰でも犯罪行為と思うことには関わらないと思っていても、これらの事例は、誰でも疑われたり危険視されることがあると気付かせてくれる例である。
 今回とこれまでの共謀罪が上程された時との違いは、第一は客観情勢の違いとそれと裏腹の関係にある反対運動の状況である。
 客観情勢は、自民党は小選挙区制効果もあり、党内において安倍首相に逆らう勢力は表だって物が言える状態ではない。かっての自民党にあった幅の広さや多様性はなくなった。それを反映して、「戦後レジームの打破」を目指す安倍政権のもくろみは、一歩一歩と前進している。国家安全保障会議を設置し、特定秘密保護法を制定、集団的自衛権の行使容認、戦争法の制定と戦争する国づくりのための体制づくり、法的根拠づくりは整ってきた。後残されるのは、戦争した時の国内治安の維持のための予防・監視体制の法的根拠作りである。それを担うのが、共謀罪である。遂にその完成目標としての憲法改正も公然と安倍首相は、自民党総裁という立場で公言するに至った。
 党内において異論がでないだけではない。マスコミに対する政権による圧力と懐柔の結果、マスコミはこの政権が推し進める政策に対して大々的な抵抗ができない状態になっている。逆らうキャスターは更迭され、慰安婦問題をきっかけにしたバッシングの結果、朝日新聞は反対のトーンを落とさざるをえなくなった。地方紙が頑張っているというものの、大手マスコミが軒並み反対のキャンペーンを公然とはれない中、反対の世論をリードしえていない。このようなマスコミの姿勢は、知識人に発言を自粛させ、今も反対の声を公然と挙げ続けている一部の人以外には、慎重な発言に終始している。野党は国会内で、圧倒的な少数であり、抵抗をしても最後は、強行採決で押し切られるであろうとのあきらめが垣間見える。このような世論状況は、一般市民にも影響し、「どうせ何を言っても数の力で強行採決されるのだろう」とか、国会外で声を上げるのは無意味だなどというあきらめ感から、戦争法反対の時に立ち上がった市民も反応が鈍い。中には、集会やデモ、街宣などの運動をしても国会で決められるのだから、国会議員に要請だけすれば良いという声さえ上がる。これらは、反対の世論の盛り上がりにも影響している。さらに、東京では反対の運動が総掛かり行動という形で共同闘争が可能となっているが、地方でもこれまでの行きがかりを捨てられないと今日も共闘ができない状態で運動の分裂を克服できていない。
 客観的情勢と運動の側の主体的条件が、共謀罪成立が目前に迫るというこれほどの危機を生み出しているのである。
 それではどうすればよいのか。
 安倍政権になってから政権が進めてきたこれまでの政策に対する反対運動の何を政権は嫌がっていたのであろうか。国会内の野党の抵抗だろうか。私には、国会内で野党が抵抗するのにも、国会外で多くの市民が反対の声を上げていることが野党を元気づけ、政権に対して妥協やためらいを生んできたようにしか見えない。かって、デモ隊の抗議の声を「テロ」と呼んだ保守政治家がいたが、まさに、彼らにとって国会外の反対の声こそは最も避けたいものである。国会内で野党が反対することは織り込み済みで、最後は強行採決をすれば良いとたかをくくっている。しかし、国会外で多くの市民が政権に対する批判の声を上げ、それを政権党に対する批判として集中し、野党を激励するとき、政権は来るべき選挙での投票行動での反応を考えて恐れるであろう。地元で大きな運動が盛り上がる時、マスコミも取り上げざるを得なくなる。このようにして相乗的に反対運動は盛り上がる。
 今、私たちが行わねばならないのは、共謀罪の危険性を知り、それを周囲に伝え、これまで以上の反対の声を集会やデモで挙げること、そこにこれまで参加しなかった人を誘って、大きな勢力とすること、それを与党や政権に対する批判として集中し、野党を激励すること、マスコミに働きかけ、反対の声を上げさせることである。
 連続学習会、街頭宣伝、5月19日の集会・デモ、5月27日には愛知県弁護士会の集会とデモ、6月10日には大集会とデモが予定されている。これらを運動の結節点として大きく成功させること、そこに結集するためにも連続的な街頭宣伝やスタンディングなどの各地域での運動を繰り広げることが重要である。あきらめずに闘うことこそ、私たちが子や孫の世代のために求められていることである。
 「共謀罪」以前と何が違うのか?  _c0241022_18032436.jpg

by beshi50 | 2017-05-10 23:59 | 共謀罪 | Trackback | Comments(0)